チャイルドストーリー

ロランドのストーリー

厳しい生活

幼いロランドにとって現実はあまりにも厳しいものでした。
ロランドは、フィリピン・ギマラス島で、両親と8人の兄弟や姉妹と一緒に、竹とヤシの葉で建てられた粗末な家で生活していました。半年も続く雨期の間は、雨漏りで寝る場所もなくなるほどです。ロランドたちが生活する地域は石灰石の産地です。乾期になると石灰石を素掘りの穴で三日三晩焼いて生石灰を作る仕事が盛んに行なわれます。父親と二人の兄たちは、石灰石を掘り出したり、石灰石を焼くための焚き木を集めたり、他人の水田の耕作や刈取などの仕事をしましたが、収入は不十分でした。食事は僅かな干し魚とご飯が毎日のように続きました。両親がしばしば自分たちは食事を抜いて、子どもたちに食べさせてくれたことを、ロランドは覚えています。

絶望のどん底へ

父親の死は9歳のロランドを絶望のどん底に突き落としました。
ロランドが9歳の時、父親が病気で亡くなりました。ただでさえ厳しい生活はより厳しくなりました。父親が亡くなってからは、幼いロランドも、放課後山で焚き木を集めました。集めた焚き木を束にして、石灰石の焼き場まで運ぶと一束5ペソ(約12円)になります。放課後自分の背丈の三倍はある焚き木を少なくとも10束運んで生活費を稼ぐことが日課に加わりました。
しかし、このような生活は長く続くはずがありません。小学三年生のロランドは、生活苦から学校に行けなくなりました。汚れた土色の服を着て呆然と立ちつくしている母親の姿が、ロランドの脳裏から今でも消えません。ロランドは絶望のどん底に突き落とされました。

ロランドの転機

大きな転機がロランドに訪れました。
1996年5月、チャイルドとしてスポンサーの支援を受けることができるようになったのです。一年のブランクの後、ロランドは復学することができました。
遠くにいて、直接会うことはないものの、自分のことを気にかけ、応援してくれるスポンサーの存在が、何よりも幼いロランドを勇気づけました。スポンサーは、誕生日やクリスマスなどにカードや手紙で絶えず励ましてくれたと、ロランドは言います。教育だけでなく、保健サービスもロランドの生活に着実な変化をもたらしました。三年という時間は必要でしたが、ロランドは栄養不良から解放されました。スポンサーからの支援は父親や母親に向けた成人教育も含まれます。成人教育で育児、栄養、保健衛生など新しいことを学んだ母親にも変化が表れました。

希望に向かって

将来に明るい希望を抱く
生活苦から学校をあきらめた時、ロランドは、「貧しい者は希望を抱くことが許されない」という絶望感を持ったと言います。
しかし、スポンサーのサポートは、「自分の将来に明るい希望を抱く」機会をロランドにもたらしました。
大学で教育学を勉強して「教師」になりたい。
この希望に向かって、ロランドは着実な成長を遂げました。
ハイスクール、そして大学卒業までスポンサーシップ・プログラムの支援を受け、ロランドは2007年大学を卒業、教員資格試験を受けました。

遠くにいても、直接会うことができなくても、自分のことを気にかけ、支援してくれるスポンサーの存在は、
夢を追い続ける機会を子どもにもたらすことができます。

フィリピンで、ネパールで、スリランカで、ロランドのような多くの子どもたちが、あなたからのご支援を待っています。

今すぐ、スポンサーになって、貧しさに苦しむ子どもに夢を追い続ける機会をください。
スポンサーシップ・プログラムは月々4,000円(1日130円)のご寄付をいただき、日本の支援者が現地の子どものひとりを学校へ通えるよう支援するという一対一のつながりを大切にしていくプログラムです。
スポンサーの皆様はチャイルドとの手紙によって交流し、子どもの成長を見守っていくことで支援を実感することができます。

スポンサーシップ・プログラムを申し込む

POWERED BY GMO INTERNET GROUP
当サイトは、GMOインターネットグループのご協力のもと運営されています。